牟岐大島 カヤック航海記



秋の海は 情の深い女である
三行半をつきつけられて 背中を向けて 去っていった後も
遠くでまなざしを向けてくれる女
そんなふうに
冷たい風に吹かれても 秋の海は 夏の体温を残していて
ただただ 暖かい
それは 未熟な カヌーイストの僕には
心穏やかになる 大きな要因となっている
不安材料はそれ以外すべてであるのだが・・・・
今日 僕は カヤックで海へ出る
末席のシーカヤッカーの僕的にも
かってからのあこがれだった 牟岐大島に 挑戦だ
僕はガキの頃は徳島で育ったのだが
地方公務員であった父は転勤が多く
小学生の3年間
牟岐という 徳島県南の田舎街で育った
JRの駅もその町が終着点で
引っ越し先の公務員宿舎は
蒔きで炊く 五右衛門風呂に
くみ取り便所のあばら家で
「最果ての街に 流されてきたのねぇ」
なんて 母が ぽつりと 呟いて
駅の近くだった公務員宿舎では
終着列車の 踏切の音だけが
無表情に響いていたのを 想い出す
能天気な僕には あの街の駄菓子屋の 甘納豆はどこまでも甘く
夏祭りの花火は
どこまでも 高く 美しく散っていった記憶しかないのだが・・・
我は海の子を 自認する その町の少年が
海を望む度に そこに悠然と坐していたのが
出羽島であり
大島であった
それは 僕らの憧れの地であった
大島はガリバーが横たわっている様に見えたので
少年達の中ではガリバー島と 呼んでいた
そこの海には 足を刺しにくる 巨大な 毒をもつウニがいる
などという 田舎伝説に僕はビビっていた
そして 今日もこの 太平洋という外洋の波にビビっている
出発地点から 沖7kmにたたずむ 牟岐大島は
すぐそこにあるみたいにも見えたし
モスラの住む到達することは不可能な南海の孤島の様にも見えた
その名も クーマンラマン人力旅行社
それが 今回僕を導いてくれる ガイド 杉本さんの会社の名前だ
ガイドの杉本さんは無口な 鉄人である
訳あって 参加者は僕だけで 二人旅
そして 二人 人力旅である
牟岐大島 出羽島 と回って
少年時代を生きた街
牟岐に着いた
20kmほどの 波に揺られて 風に吹かれての 旅であった
はずかしながら 緊張のため
口はからからであった
わかった事はいくつかある・・・
少年時代に過ごした街は
小さな 本当に小さな 街であり
あこがれの島々は ちいさな ちいさな 島である事
少年の頃 命がけで 当時の最高速度を求め
前傾姿勢で自転車で駆け下りた 急坂は
意外となだらかな坂であった事
それでも海は大いなる外洋であること
おおいなる オヤジになって
この外洋から
小舟に身をまかせて
あの街へ帰ってこられたことは
ある意味
大いなる凱旋
僕にとって錦を飾ることなのだと感じる
どっこい 約半世紀経っても
僕は 愚直ながらも 生きているぞってね
2010 Sea to Summt :Again



先週金曜の夜 うすらバカ オサムから 電話があった
(ちなみに やつも 俺のことを バカコイケと呼んでいるらしい
適切な形容だと思う・・・)
不吉な例のメリハリのないイントネーションの高音でのたもうた
「コイケ ェ 〜! 明日の用意 できとるけ 〜?」
なんの用意や???
その疑問符を 打ち消すように 次の一言が
「皆生のトライアストンやん」
秘密の県民ショーの
京一郎さんに意外な転勤を 知らされた ハルミさんの様に
僕は驚いた
長い 熱い アラスカ ユーコン川からの旅から
帰ってきた僕は
1週間かけて
時差を克服しつつ
かっての ぐうたらな 生活を満喫していた
バカ娘の 夏休みも最期に近づいた この土日は
我が家の大好きな
元町はずれのダイナーレストラン ヌードに 行こうねなんて
密約していた
我が家は快楽に向かう ベクトルでは 容易に結託されるのだ
すっかり 忘れていた Sea to Summit
皆生・大山で行われる
標高差1700mをカヤック 自転車 ラン で駆け抜ける
異種トライアスロンである
昨年も参加した カンドーした
僕はうすらバカ オサムを言葉巧みに 誘って
今年もエントリーしていたことを
すっかり わすれて おったのだ
僕のオツムはオサムに言うべき
お断りの理由がぐるぐる 回っていた
じいちゃん危篤 急性盲腸発症 神戸直下型地震発生
突然唐突に美女からユーワクがあった
う〜ん どれも説得力ない
その夜 遅く ぺったんこの自転車のチューブに空気を入れ
カヤックを 車に積む
僕があった
日曜の朝僕は 山陰の海岸の海岸に立っていた
意外や がぜん やる気モード
「ヌハハハハ いつ何時 何人の挑戦で受けて立つ」
猪木ボンバイエの気分に 誰でもしてくれる演出が
どんな 市民マラソンやトライアスロンの大会にでも存在するのである
夜明けのカヤック気持ちよかった7km
自転車 標高差 700m
マシンのクランクが折れて
1時間のロスも
心はかろうじて折れず
標高差1000mのハイク 足つりそう
そして 大山山頂 ゴール
更に そこから自力で下山
人力自転車で 道に迷いながら 河口まで帰った
この 競技は 生還するとことが 真のゴールなのだね
200kmの道を車で運転して帰ったら
娘と妻が寝そべりながら のたもうた
「今日もヌード おいしかったで
パパと行かんでも 十分おいしかった」
僕の 心やすらぐ 真のゴールは いずこなのだろうか・・・・
解説 Diner Nude :神戸元町 西はずれにある
隠れ家的名レストラン
コイケファミリーが通いつめて10年になる
時間が穏やかに流れる店
シェフ 男前
奥さん 美人
パスタ アルデンテ
車で店の前に路上駐車するのが マイスタイル
ゆく川の水は絶えずして また 元の水にあらず :総論



ユーコン川 遠征記 総論
ちょっと かっこつけて 書くぞ!!
5日間 165km の距離を 何万回パドリングしただろうか
15ラウンド打ち合った ボクサーどうしみたいに
言葉を交わすことなく
ユーコン川と語りあったように思える
ガイドのカートは
更にもっと この自然と 黙して語りあっているのだろう
やつは厳しい寒さに適応した巨大な肉体と
ひげずらの風貌で
心優しき灰色クマだ
ユーコン川を包み込む アラスカの風景は
決して多彩ではない
蛇行した川の次の瀬を回ると
また次の風景が顔をみせるのだが
むしろそれは 木の年輪の様に
おそらく白とまっ白で構成されるであろう長い長い冬と
僅かの晩秋のごとき夏で織りなす
この地に訪れる四季の様に
単調なものであるようにも思われる
ゴッホが 何枚もひまわりや 糸杉を 書き続けることにより
色彩が多次元的に付加されていったように
網膜に 雄大で深い碧は 塗りこめられてゆく
雲の形や厚さによって
地上ぎりぎりを走る太陽の
高さによって
その単調とも思える風景は 微細な 色調の変化が与えられる
そして さらに僕の網膜の 深い部分に
その山河を 焼きつけてゆく
その証拠に 日本にいる 今でも
目を閉じれば
あの 冷たく透明な風の匂いとともに
あの風景がよみがえる
観光バスで 絶景ポイントを移動してゆくのとは 対極だ
河は蛇行しつつも
雄大な水の一見意図のない移動はすべてを
総じて一方向に もってゆく
蛇行する広い川幅の少しでも 流れが有利な場所に向かうように
舳先を右へ左へと 回転させているのだが
複数艇のカヌーが いかにきまぐれな 方向どりをしたところで
結局は 大した優劣なく
夕刻には 否応なく 目的のキャンプ地に 我々を
運んでくれた
必然論者 運命論者である私の人生感と 重なりあうようだ
こざかしい事を 考えずに
ただ ひたすら パドルを 漕ぐ 漕ぐ 漕ぎ続ける事が
僕のやり方なのだろう
心拍数の高なりは 僕の体が
クエン酸回路を早く回し続ける
バイオ蒸気機関車となっている事を知らせてくれる
河の流れは水泡を形成し
やがては 大気にその泡は 吸われてゆく
同じ様に この地で幾多の生命を生み そして 殺してゆく
結局 生き続けるのは ユーコン川だけなのだろう
風景がながれれば
この ささやかな 親子の生命体が アラスカの自然に
悠久の時の堆積に比すれば瞬時ではあろうが
ともに生きる事を許容されている 喜びを感じる
川を溯る 力はない
そんなもの とうてい まったく 無い
木の葉以上 鮭未満の力で 頑張る ところが 適切なのだろう
これからの 生き方は これだね
そう 考えた
ハックルベリー・フィンになる8日間

ついに この朝が来た
時間は単調 公平に流れるものではなく
時に圧倒的な加速度で 津波のようにおしよせてくるものである
はるか 彼方の 予定とばかり思っていた 旅も
ふと気がつけば 今日 出発の朝である
さて 末席であろうと 自称カヌーイストである
そんな僕にとって かってからの憧れの場所があった
それは はるかアメリカ大陸の北部 アラスカに流れる
雄大な河 ユーコン川である
妻は 野外での放尿は 不可能だということで 旅の企画段階で
すでに棄権宣言 今回は娘との二人旅である
一期一会なのは たとえ身近な家族でもあり得ること
娘と父と 二人して行ける 旅など
最初で最期であろうか
ハックルベリー・フィンは吞んだくれの父に愛想つかして
家出することが 冒険のはじまりだったが
ハックルベリー ユカ(娘)は 吞んだくれの父と 家出するのだ
ここらが すでに コメディタッチである
牧歌的 穏やかな流れに
ボケをかましつつ 身をゆだねたいと考えております・・・・





