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追想 2008年篠山マラソン

Dr小池のランニング日記

2008年3月2日7時30分 兵庫県丹波篠山にて

朝もや の篠山に 僕は帰ってきた。
本当に帰ってきた ・・・  そう思うと すこし 涙が出た。
河原の駐車場に車を止め 河原の空気を吸えば 23年前の 自分を想い出す。

学生時代ずっと 体育系クラブに所属していた僕は体を動かすことが 習慣となり社会人となってもその習慣は 止められなかった。それは 忍耐強く エキササイズを続けたと言うよりも ただ 体を動かすことを 現実問題として止められなかったというのが 正確な表現だろう。そこには精神力の強さというよりも むしろ麻薬患者の意志の弱さを比喩するのが 適切だろう。 
そんな理由で 仕事が終わって 見知らぬ土地での ランニングの日々がスタートした。
走り続けることには モチベーションが必要だった。26歳の僕が選んだそれは 篠山マラソンだった。そこから 3年連続して 出場した。タイムは3時間30分~50分だったと記憶している。
だが 30歳になり 結婚、歯科医院開業とともに その習慣もなくなってしまっていた。
物事には 優先順位があり 犠牲とされるものは 必ず少なからず存在するものである。
走ることは 本当に大事な要素だったかもしれない。しかし、1本ぐらいギターの弦が切れたとしても そこそこの 音楽は 奏でるものである。 その 音楽に 不満を感じずに 日々を黙々と 生きてきた自分があった。そして20年の月日が流れた。

今から4ヶ月前 僕の中で何かが 変わった。
自分の心の中の 和音で 何か 足りないものが あることには 薄々気づいていた。
ある夜 仕事が終わって いつもは 最短距離で 職場から 自宅まで とぼとぼ走るのだが その日は 海岸線のルートに向かっていた。 それは 決心 決断 そういうたいそうなものでは なかった。もう決定事項を 無意識のうちに行動に移した 自分を発見した。
その時 もうひとつ 胸の中に見つかったもの それは あのモチベーション
篠山マラソンだった。早春にある 兵庫県で最も大きな市民マラソン。
その日から ほとんど 毎日10km~15km 走るようになった。
僕の心の中の和音は すこしながら ましな アルペジオとなっていた。

老いを受け入れることを 必要以上に納得し 必要以上にあきらめていた僕は
この4ヶ月間で ささやかな自信を回復したようだ。
しかし 大会二週間前の夕刻に12才の娘と三宮で待ち合わせたとき すこし 寒気を感じた。あっ やってしまった! その瞬間そう感じた。
その瞬間に風邪をひいた事実がわかった。当然咳が出てくる。熱がでる。寝込むことはないけれど 走ることはできない。 僕は仕事を終えると すぐ布団にもぐった。 ギャオスの超音波で切り刻まれた 体を じっと海底で治癒するのを待つ ガメラみたいに。
1週間すぎても まだ咳はとまらない。焦燥・そして僕は敗北宣言を周囲に告知せざるを得なかった。
篠山マラソン 棄権である。
昨晩 3月1日 大阪で学会があり 親睦会も終わると午後10時も回った。
帰宅した 僕の行動は意外にも 明日の マラソンの準備だった・・・・
本当に 嘘偽りなく 自分自身が自分の行動に意外だった
すでに決定事項のように 僕はシューズ ウェア タイガーバーム アイポッドを用意しはじめた。 僕はいつも決断しない そして流される しかし、いったん行動をはじめると 意外としぶとい。どんな ろくでもないものにも わずかながらも美点はあるものだ。 

結論を言えば 36km地点で 時間制限で 完走ならず。
回収バスで寒さと疲労に震えスタート地点に戻った。
もう完走した人々が 明るい すがすがしい顔で完走賞品のメダルを胸に帰途につくところをすれちがう。 自信がなく 情けない自分がそこにあった。
不思議なことに この気持ち この空気 なんか懐かしい気がした。そう それは 10代の僕にあった大気の臭い 胸の想いなのだ。
なにをやっても ろくでもなく 明日につながる何も見いだせなかった かっての非力な僕が常に抱いていた想いだ。
そんな 想いは 意外に 結構  その頃に両親と暮らしたあばら家へ 帰ったような 安堵感をも 感じさせてくれたのは 生まれついての楽天家だからだろうか。

考えれば 20余年の歳月を経て ここ篠山を目指して走り出し 直前に寝込みそれでも
無謀な闘いに挑み 挫折することは 単に偶然とは 思えない。まさに僕の行動パターンなのだ。僕が生まれてきた時から時限爆弾のように 僕の胸深くに設定されていたとも 思える。仮にその舞台が 篠山でなくとも マラソンでなくとも 僕は同じ様な 行動をとっていたとも思う。

僕と言う流木は形を変えつつもこの地に流されることが必然だったのだろう。

そして 明日 仕事の後には スニーカーをはきまた 走り出す自分の姿があるだろうことも 必然だろう。
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